-------------------------------------------- 『無題』小林漠 ◆本編容量:9,89KB -------------------------------------------- //霊園・墓石前 消失感があった。 【マホ】 「…………」 それは、妹の墓の前にたたずむ俺の中にあった。 【マホ】 「…………」 妹が亡くなって、だいぶ月日が流れた。 今の俺にあるのは消失感だけだ。 涙も出ない。 ……悲しい、とさえ思えない。 【マホ】 「帰る、か……」 俺は、ネックレス状にして首からかけてある鍵を握りしめた。 妹の形見だ。 霊園を抜ける風を感じながら、俺は妹の墓の前を後にする。 //霊園 日課となっている墓参り。 そんな中で、俺は願い、思うことがある。 それは――変わりたい、ということだ。 俺は歩きながら、再び鍵を握りしめた。 【マホ】 「っ……」 ただ毎日を同じように繰り返し、 ずっと停滞し続ける日々。 妹が亡くなってからというもの、俺の時間はピタリと止まってしまった。 …………。 ……。 だが。 【女の声】 「見つけたぞ、“鍵”」 突然、動き始める。  ** 【女の声】 「動くな」 背中に冷たいものがあてられた。 一体それがなんなのかはわからない。 だけど。 さっきまでの平和ボケした俺の日常が壊された―― ということだけは理解出来た。 【女の声】 「おとなしくしていれば悪いようにはしない」 な…… 【マホ】 「な、何……なんです、か?」 俺は、背後を振り返ろうとするが―― 【女】 「本物の拳銃だぞ」 ゴッ! 痛みが背中に走る。 銃口を無理やり押し付けられたのだ。 わけがわからない どうしてこんなことになっているんだ? 【マホ】 「な、何なんですか!」 どうして、いきなり拳銃を背中に押しつけられなきゃならないのか。 そもそも、声の主は何者なのか。 わからない。 わからないことだらけだ。 【マホ】 「一体、何なんですか!」 取り乱しながらも、ただわかることは―― 従わなければ死ぬかもしれない、ということだ。 【女】 「もう一度言う、おとなしくしていれば悪いようにはしない」 俺の停滞していた時間が…… 変わり、動き始めた。 【女】 「ついてきてもらうぞ、“鍵”」  ** //町中 【七海】//ななみ 「おい、ガキ」 【マホ】 「ガ、ガキじゃありません」 【七海】 「まあ、そんなことはどうでもいい」 どうでもいいって……。 【七海】 「これだけは言っておこう」 【マホ】 「何ですか?」 【七海】 「勝手に巻き込んでおいてあれだが、君は――コモリ・マホはもう無関係ではない」 いきなり拳銃を背中に押し付け、行動を共にしろと命令してきた謎の女――七海。 流石に町の中で拳銃を取り出すほど、頭がおかしなではなかったらしく…… 【マホ】 「…………」 俺は、現在わりとフリーな状態で、彼女の隣を歩いている。 ただし、逃げるなら容赦はしないらしい。 【マホ】 「そ、それで、一体俺は何をさせられるんですか……?」 と、言うと。 銃口のような鋭い目で、睨みつけられた。 【七海】 「これから“理想の錠前”を盗みだす」 ――理想の錠前。 平和ボケした世界の象徴である錠前のことだ。 それを……盗む? 【七海】 「そのカギで、錠前を解錠する」 自然と、俺は首から下がる鍵を握りしめていた。 妹が残していった、ただのアクセサリーだと思っていた鍵に、そんな使い道が……? 【マホ】 「でも、だったら――」 【マホ】 「俺が一緒にいる意味、なくないですか?」 俺は首にかけてある鍵を、彼女に差しだしながら言う。 けれど。 【七海】 「錠前が保管されている中央施設に入るには、この街の住人が必要だ」 【七海】 「必然的に君の手助けが必要だが、拒否権はない」 【七海】 「わかったか?」 どうやら俺は本当に――既に無関係ではないらしい。 【マホ】 「何が……目的なんです?」 理想の錠前を盗んで、解錠して…… 何が目的なのだろうか。 そもそも、彼女が言っていることが本当かどうかもわからない。 【七海】 「君はそれを知る必要はない」 【七海】 「だが――」 【七海】 「もし君が……私が捕まってしまったのならば……」 【七海】 「生き残るすべは、解錠するか、逃げるか、どっちかしか選択肢はない」 捕ま、る……。 一体俺は、どうなってしまうのだろうか。 だから…… 【マホ】 「り、理想の錠前を解錠すると、一体どうなるんです?」 一体俺は――どうなってしまうんですか? 質問ばかりだな、と自分に対して鼻で笑ってしまう。 どうやら俺もまだ、余裕はあるらしい。 自分でもビックリだ。 【七海】 「解錠すれば」 【マホ】 「…………」 【七海】 「君の……君たちの世界は変り、今までには戻れないだろう」 変わる……? 【七海】 「それでも君は、従ってもらう」 【七海】 「もう一度言おう」 【七海】 「君はもう無関係ではない」 【七海】 「変えてもらう」 俺は黙ってうなずくしかなかった。  ** //中央施設 目の前には、堂々と理想の錠前が保管されている。 この街の住人ならば、誰だって持ち出すことが出来るだろう。 もっとも、そんなことを“する”人はこの街にはいないし―― そんなことをしても、“消される”だけだ。 何の意味もない。 【七海】 「君はもう用済みだ」 錠前の前にたたずんだ女は、こちらを睨む。 【七海】 「その鍵を渡して速やかに去れ」 【マホ】 「…………」 俺は鍵を握りしめながら、思う。 ……終わった、と。 再び何も知らずに、 自身は何も変わらずに、 俺は“日常”へと戻っていくのだ、と。 今までとは違うけれど、今までと同じような日常へと。 【マホ】 「あ、あの……」 彼女は、錠前を手に取り、それを握りしめる。 横目で、こちらを見た。 【マホ】 「解錠すると……一体何が起こるんですか?」 二度目の質問だった。 知ってどうする、という思いがある。 知らなきゃ後悔する、という思いもある。 知っても意味がない、という思いもある。 【七海】 「…………」 彼女の睨みつけるような視線が刺さる。 彼女は、小さく吐息した。 【七海】 「……ここに“収容”されているイレギュラーを救うことが出来る」 収容? イレギュラー……? 【七海】 「世界を救える――」 【七海】 「いや……ただの自己満足だ」 彼女の視線が伏せられ、 先ほどからの睨みつけるような表情は、儚い表情に変化する。 【七海】 「ワタシが本当に救いたいのは……」 そこで言葉が途切れた。 【マホ】 「……?」 その次の瞬間には、 銃声と―― 彼女が床に倒れる音と―― ――錠前が床に落ちる音が、 鳴った。 【マホ】 「………………」 俺はただ、立ち尽くす。 【警備兵】 「少年、それを持ってこちらへこい」 抑揚のない声が響いた。 何が何だかわからなかった。 機関銃を構えた警備兵が、冷たい視線でこちらを見ている。 ただ、見ている。 【警備兵】 「早くしろ、少年。それを持ってこちらへこい」 それ。 理想の錠前のことだ。 【警備兵】 「少年、早くしろ」 【マホ】 「…………」 まるで操られたかのように、俺は錠前を拾った。 重くて、ずっしりとした重圧が手のひらに生まれる。 【七海】 「……捕まったら」 …………。 ……。 【七海】 「死ぬ、ぞッ……」 死ぬ……。 ……。 【七海】 「早く……解錠、しろ……!」 …………。 ……。 【七海】 「たの、む……」 頼む……。 ……。 【マホ】 「……!!」 気がつくと俺は、走り出していた。 ……何故? 逃げるためだ。 ……何故? わからない。 【警備兵】 「待てッ……!」 抑揚のなかった声が、急に緊張感を作り出した。 銃声が背後から鳴り響く。 銃弾が床を穿つ音が、響く。 俺はただ闇雲に、逃げゆく。 【警備兵】 「こちら中央、少年が逃げ出した。繰り返す。少年が逃げ出した」 【警備兵】 「女は重傷と思われる。拘束に取り掛かる」 逃げゆく中で、自分の足音と、警備兵の言葉が脳内でミキサーされ、頭が真っ白になっていく。 それでも―― 逃げゆく。  ** //町中・裏路地 どうする。 どうする……!? 【マホ】 「くっ……」 逃げ出した俺は裏路地に身を潜め、息を整える。 そして、考える。 考える。 どうすればいい。 どうすればいいんだ。 【マホ】 「どうしたらいい……?」 逃げ出さないで、おとなしくしておけばよかっただろうか。 …………。 ……。 いや、ダメだ。 【七海】 『生き残るすべは、解錠するか、逃げるか、どっちかしか選択肢はない』 彼女の言葉を思い出す。 逃げるか。 ――解錠するか。 【七海】 『君の……君たちの世界は変り、今までには戻れないだろう』 変わる。 解錠すれば、変わる。 【マホ】 「もしかしたら、今なら、まだ元の生活に……」 戻れる。 【警備兵】 「いたぞッ……!!」 背筋に冷たいものが走り抜ける ……見つかった!? 【マホ】 「……くそっ!」 ……戻れるわけがない。 もう、後戻りは出来ないんだ。 彼女はちゃんと、そう言ったじゃないか。 逃げゆく。  ** //町中・裏路地 息を整えながら、壁に背中をつける。 【マホ】 「君はもう無関係ではない、か」 なら解錠するしかないじゃないか。 それしか生き残る道が残されてない。 ……死にたくないなら、解錠するしかない。 【マホ】 「違う」 俺は、彼女が撃たれたときの光景を思い出す。 【マホ】 「俺は……」 …………。 ……。 【警備兵】 「もう逃げられないぞ、少年」 【マホ】 「…………」 銃口が、額に押し当てられた。 あの指先に、少しでも力が加われば、俺は死ぬ。 【警備兵】 「何だその目は?」 どうやら、今の俺の目は、彼女みたいに鋭く睨みつけているのかもしれない。 【警備兵】 「さては、はったりだと思ってるんだろう?」 【警備兵】 「あの女は利用価値はあるが、少年、君にはない」 【警備兵】 「ここで消えてもらう」 どうやら、俺はここで死ぬらしい。 まだ実感がない。 妹が亡くなったときと、似たように、実感がない。 【マホ】 「俺は……」 死ぬのなら、せめて……彼女を、助けたい。 彼女だけでもいいから。 だから。 だから…… 【マホ】 「変われ」 俺は、握りしめた鍵を。 理想の錠前へと。 俺は――彼女の野望を叶えるために。 【警備兵】 「……!?」 …………。 ……。 解錠した。 ………………。 …………。 ……。 錠前が光りに包まれる。 鍵が光りつに包まれる。 錠前が粒子になって、消えていく。 鍵が、粒子になって消えていく。 世界が、解錠されていく。 変わっていく。 世界が。 自分が。 変わっていく。  ** //霊園・墓石前 零れ落ちるものがあった。 【マホ】 「…………」 それは、俺の瞳から溢れ出て、頬を伝って地面へと落ちていく。 涙だ。 そして―― 悲しいという感情だけを握りしめる。 そこに妹の形見である鍵はない。 【マホ】 「俺は……変われた、のか?」 よくわからない。 【マホ】 「帰るか……」 もうここに来ることも、あまりないだろう。 そう思い、足を動かそうとしたときだ。 【七海】 「おい、ガキ」 背後から足音と声が生まれる。 【マホ】 「ガキじゃありません」 振り向いた先には、彼女と―― もう一人、小さな女の子がいた。 俺の妹くらいの、幼い少女だった。 【少女】 「…………」 少女は静かに、彼女の服の袖をつかみ、隠れるようなしぐさを見せる。 【七海】 「変われたかい?」 【マホ】 「え?」 【七海】 「その涙は、痛み、だろ? ――マホ」 彼女が微笑んだ。 俺はこのとき、彼女がこんな風に笑える人間なのだと、初めて知った。 【マホ】 「…………」 【マホ】 「いえ――」 【マホ】 「痛みを知ったから、変わっていけるんだと」 【マホ】 「そう、思います」 END