-------------------------------------------------- 『赤いベスパの女の子』小林漠 ◆本編容量:10,1KB -------------------------------------------------- //自室 【輝実】 「は?」 //読み:てるみ 主人公・男 それが、僕の第一声だった。 【輝実】 「……どういう、こと、だ、よ?」 僕が見つめるパソコンのモニター。 そこに表示された御神上総(みかみかずさ)のブログ。 //ヒロインの名・女 そこには―― 【輝実】 「上総さんが……アイドルを、やめる……?」 僕の大好きなアイドル――御神上総は…… どうやらアイドルをやめるらしい。 【輝実】 「なんだよそれ」 ――御神上総ファンクラブ会員証、番号001 モニターの隣のフォトフレームに飾られているそのカードが…… 今日は虚しく見えた。  ** ** そんな上総さんは、来月の頭に引退ミニライブを開催する。 小さなスタジオすら満員にならないほどの、ミニライブだ。 上総さん関係のイベントは全て網羅している僕は……  ** ** //自室 とある日の休日。 突然、電話が鳴り響いた。 【輝実】 「……もしもし」 【リャンメン待ち】//男 「あ、テルミー氏ですか?」 テルミー。 僕のHN(ハンドルネーム)だ。 なんとも安直である。 【リャンメン待ち】 「今日の引退ライブ、こないんですか?」 リャンメン待ち氏は、僕と同じく初期のころから上総さんを追っかけている仲間だ。 【輝実】 「ええ、まあ……」 今日の御神上総引退ライブ。 僕は不参加を決め込んだ。 おそらく、これが最初で最後の参加しなかったイベントであろう。 【輝実】 「…………」 ……最後、か。 【リャンメン待ち】 「しょうがないですよね、上総ちゃん、あまり人気出ませんでしたし」 僕の声色から、彼は慰めに近い言葉を入れた。 【輝実】 「変な話ですけどね」 【輝実】 「嫌なんですよ、引退――最後っていうのが」 それに参加してしまったら…… 本当に上総さんが引退してしまうような気がして―― だから僕は…… 【リャンメン待ち】 「あー、わかりますわかります」 リャンメン待ち氏が、電話口の向こうで苦笑するのがわかった。 【リャンメン待ち】 「ファンなら笑って見送りしたいですけど、正直……つらいですもんね」 【輝実】 「まあ、そうですね」 参加してしまったら、彼女の引退を認めてしまうような気がして。 だから、僕は、こうして部屋の中にいるわけだ。 【リャンメン待ち】 「じゃあ、ライブの感想とかはサイトにアップしますんで」 【リャンメン待ち】 「残念ですけど、近いうちにまた」 【輝実】 「はい、また」 僕はまだどこか、上総さんが引退するなんてことを、信じてはいなかった。 そう、信じたかった。  ** ** 2011年11月06日(日) 『引退ライブ001』 投稿者:御神上総 今日の引退ライブに参加してくださったファンの皆さま、ありがとうございました。 とっても素敵な時間を過ごすことが出来て、私は……とても幸せ者だと、痛感しました。 ステージの上に立つ私はどうでしたか? ファンの皆さんに今までの感謝を返す気持ちで、精一杯歌いました。 そして―― 知っていますか? ステージの上に立っていると、ファンの皆さまの顔がしっかりと見える、ということを。 いつも参加してくださる方。 初めて参加される方。 そんな皆さまの顔が、一人一人、ちゃんと、しっかり、見えているんです。 本日のことは語りだしたらきりがありませんので、また次の機会に……。 ですが! そんな中! 朗報があります! 来週の日曜日、某所にて最後の握手会を開催することが決定しました。 これがほんとの……ほんとの最後です! ライブにこられなかった方は、ぜひよろしくお願いします。 もちろん、ライブに参加された方も、ぜひ! 日時と場所は、後ほどこのブログにてお知らせしたいと思います。 よろしくお願いします! PS. 今日のライブ、ステージ裏で少し泣いてしまいました。 何回見ても、どこを見ても、いつもいらっしゃるファンの方が、見えなかったから…… 来週、ぜひお待ちしております。 そのための、最後の最後のイベントです。 御神上総  ** //自室 【輝実】 「…………」 今日のライブ、ステージ裏で少し泣いてしまいました。 何回見ても、 どこを見ても、 いつもいらっしゃるファンの方が、 見えなかったから…… 【輝実】 「まさか、な」 もしかして、僕のこと、だろうか。 【輝実】 「流石にそれは自惚れか……」 アイドルが、ファンのことを気にかけるなんて、ありえない。 いくら上総さんが、お世辞でも人気があるアイドルとは言えないアイドルだからって…… それでもファンは何百といるんだ。 【輝実】 「でも……」 上総さんなら……ありえる、のか? そういう人柄だから。 彼女なら、きっと、彼女なら。 もちろん、アイドルには向いていないのだろうとは思うけれど。 …………。 ……。 僕は飾られている会員証を横目に入れつつ、 携帯電話からとある人物をコールする。 【輝実】 「あ、もしもし? リャンメン待ち氏ですか?」  ** ** //某イベントスペース 【リャンメン待ち】 「いやー、テルミー氏、いよいよですな」 【輝実】 「はい」 【リャンメン待ち】 「私、ライブの前日も緊張して眠れませんでしたが、今日の前日も――」 今日は、上総さんの握手会。 ほんとに最後の最後の、握手会だ。 【リャンメン待ち】 「引退ライブで燃え尽きましたが、まさかまた上総ちゃんに会えるなんて――」 リャンメン待ち氏の話声が、どこか遠く聞こえる。 周囲のざわめきも、うまく耳に入ってこない。 僕も、緊張しているのだろうか。 幾度となくイベントに参加し、握手会だって何回もやった。 だけど…… どうしてこんなに、緊張するんだろう。 //暗転 ………………。 …………。 ……。 //某イベントスペース 【上総】 「来てくれたんですね!」 僕と対面で向き合った彼女の第一声はそれだった。 【上総】 「先週のライブ、お姿が見えなかったので、少し心配してたんですよ」 まさか本当に心配していてくれたなんて。 これは、夢? 現実? 【輝実】 「は、はいっ」 握手のために、業務用のテーブル越しに向かい合った僕たち。 身を乗り出せば、抱きつけるくらいの距離だ。 【輝実】 「えっと、あの、その……」 ファンの心配をしてくれる上総さん。 僕はそんな優しい彼女に…… 【上総】 「はい?」 言おうと思ったことがあったんだ。 どうしても、彼女に伝えなきゃならないことが。 【輝実】 「…………」 【輝実】 「や……」 やめないでください。 【輝実】 「い、いや、あの、その、今日のことはブログ、読みましたよ」 言えなかった。 言えるわけがない。 僕に彼女をとめる権限なんて、ないのだから。 僕はただの、ファンクラブNO,001の、ごく普通のファンなのだから。 【輝実】 「というか、その……先週は仕事が忙しくて……」 【上総】 「まあ! そうだったんですか……!」 【上総】 「すいません、今日もお仕事で忙しかったりしたんじゃ……?」 【輝実】 「はは、こんなのへのへの河童ですよ!」 【上総】 「ふふふ、そうですか」 その後、握手をして僕たちは別れた。 いや、僕は帰路につくために…… 上総さんは、次のファンと握手をするために…… ただ、それだけのことだ。 【輝実】 「本当はやめたくないんですけど、しょうがないですよね」 次の人との会話が、僕の耳に、そっと流れ込んできた。 …………。 ……。 こうして、上総さんの最後のイベントは幕を下ろし。 彼女は――アイドルをやめた。 もう彼女は、アイドルでもなんでもない、ごく普通の女の子に戻ったのだ。  ** //デパート屋上・夕暮れ 最後の握手会の帰り道。 僕はデパートの屋上へ赴き、一人ベンチに座って黄昏ていた。 【輝実】 「はぁ……」 ちなみにここは、僕が初めて上総さんと出会った場所であった。 デパートの屋上に設置されている、小さなイベントスペース。 そこが、上総さんの初めての仕事現場だった。 【輝実】 「帰るか」 呟き、腰を上げようとすると―― 【???】 「あの」 声がかかった。 その声の主は…… 【輝実】 「上総、さん……?」 まぎれもなく、彼女だった。 【上総】 「テルミーさん、こんなとこで何やってるんですか?」 上総さんは僕の隣へ座り、こちらに顔を向けてきた。 【輝実】 「いや、あの……というか、どうして僕の名前を?」 【上総】 「それくらいわかりますよ」 【上総】 「いつもラジオでお便りくれましたし」 【上総】 「いつもいつも、応援してもらってましたから」 【輝実】 「そ、そうですか……」 なんだかやけに恥ずかしい。 【上総】 「それで、ここで何やってるんですか?」 僕は黄昏に染まる屋上を、眺めながら静かに言う。 【輝実】 「……ここは、僕の思い出の場所なんですよ」 そして―― 【上総】 「私もなんですよ」 そう言って、彼女は微笑んだ。 でもその頬笑みは、儚げに見えた。 【上総】 「…………」 笑顔が見たい。 上総さんの笑顔が。 アイドルとして、僕たちを元気にしてくれる、あの笑顔が。 【輝実】 「あの――」 だから僕は。 【輝実】 「やめないでください」 【上総】 「え?」 【輝実】 「アイドル、やめないでください」 言った。 言ってしまった。 握手会の時は我慢することが出来たのに…… 僕はなんて情けないんだ。 なんてダメなやつなんだ。 【輝実】 「…………」 そして。 そんなダメで、情けない僕に、上総さんは…… 【上総】 「ありがとうございます」 感謝したのだ。 【上総】 「そう言ってもらえる方がいるだけで、私はとっても嬉しいです」 優しい言葉だった。 とても、彼女らしい言葉だった。 そう……とっても……彼女らしい……。 【上総】 「今まで応援してくださって、ありがとうございます」 そうか。 僕は……彼女が好きだったんだ。 アイドルとしてじゃなくて―― 御神上総という人が、好きだったんだ。 だから、応援したんだ。 応援したいと、思ったんだ。 【輝実】 「上総さん」 じゃあ、この感情はこれは恋か? いいや、たぶん違うだろう。 【輝実】 「これ、もらってください」 でも、これは、失恋なのかもしれない。 【上総】 「これは、ファンクラブの……」 NO,001と刻まれた御神上総ファンクラブの会員証。 それを、彼女に渡した。 【上総】 「いいんですか?」 【輝実】 「はい……記念に取っておいてください」 【上総】 「でも、それならテルミーさんが」 【輝実】 「僕は上総さんのこと、忘れませんから」 【輝実】 「御神上総という名のアイドルがいたことを、忘れませんから」 【上総】 「…………」 【上総】 「私だって、忘れませんよ?」 彼女は笑った。 【上総】 「夢を見れたこと――」 僕たちを元気付ける、あの笑顔だった。 【上総】 「――“応援してくれた人”がいたこと」 僕たちが応援し続けた笑顔だ。  ** //デパート入口 会話がないまま、僕たちはデパートを降りた。 別れるために。 今度は二人とも、帰路へとつくために。 【輝実】 「てか、原付ですか……」 上総さんが駐輪場から持ってきたものは原付だった。 しかも、赤のベスパ。 【輝実】 「ちょっと、イメージと違うかも」 とても原付に乗る女の子には見えない。 【上総】 「女の子には、いろいろありますから」 【上総】 「私実は……少しやんちゃだったりして?」 可愛らしいヘルメットを身につけて、彼女は舌を出す。 【輝実】 「はは」 こんな僕でも、彼女の知らないことがまだあった。 僕は彼女のアイドルという一面しか知らなかったのだ。 【輝実】 「それじゃ」 それでも。 アイドルとしてもそうだが、 女の子としての彼女のほうが、好きだったのだ。 矛盾がある、変な話だが。 【上総】 「はい」 【上総】 「さよなら」 ベスパの排気音が、遠ざかって往く。 道は違えど―― 僕たちは新しい道を歩み始めた。 END